昔の人々のトイレ事情ちょっと気になりませんか
今日は江戸時代のトイレ事情覗いてみようと思います
江戸時代トイレの事を《厠》カワヤと呼んでいました
- かわるがわる皆が居る所から《交屋》
- 汚い所なので母屋から離れた《側舎》
- 河川に流すため《川屋》
この3つの説があるそうです
庶民が住む長屋にはそれぞれの家にトイレはなく共同トイレのみ
この共同トイレの事を 《惣後架》ソウコウカ と呼び
床全体が板敷きその中央部分に長方形の穴が開いており
戸は下半分のみでしたので誰かが利用しているか分かるようになっていたようです
嫌ですね・・・(;’∀’)
もちろんこの時代ですから女性専用トイレがあるわけではなかったので
この時代の女性はトイレに行くのも一苦労だったようです
男性が近寄り音を聞いていたり・・
覗き穴を作られそこから覗かれてたり・・
したそうですよ・・・(;’∀’)
よって女性がトイレに行きたくなった時は
一人では行かずに2名などで連れ立って行ったそうです
それにしても人目をきにしながらのトイレ・・
体調も崩しそうです
ではトイレットペーパーのなっかった昔はどうしていたんでしょうか
そんな疑問が出てきますよね
日本では長い間紙は大変貴重だった為
飛鳥・奈良・平安時代まで
貝殻や籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木片をトイレットペーパー代わりにしていました
高貴な人が使用する籌木(ちゅうき)は角を削って滑らかな形に加工していました
いやあ・・・想像したらお尻が痛そう・・・・
何故柔らかい葉っぱなど使用してなかったのでしょうか・・
ホントにそうなの??なんてちょっと疑問に思いますね・・(;’∀’)
実際庶民が紙でお尻を拭くようになったのは江戸時代からで
ちり紙の《浅草紙》を使用していました
あまり質の良くない再生紙ですが庶民の日用紙として多く用いられました
溜まった排泄物は農作物を育てる肥料として活用するため使用されていました
富裕層は栄養価の高い食事を摂取していることから高価な価格で取引されたそうです
また厠神(かわやかみ)と呼ばれるトイレの神がいるとされており
むやみに排泄物を投げ捨てると罰が当たるという意味があったと言われていたそうです
その頃からトイレの神様がいたんですね
トイレの神様と言えば福岡県篠栗町
笹栗四国霊場 高野山真言宗 第85番礼所 祖聖大寺
にトイレの神様 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう) が安置されていますよ
人間界と仏界の境界線を守護する神様で
仏界から人間界へ侵入してこようとする邪気を全て炎で焼き払ってくれてるそうです
烏枢沙摩明王の真言を唱えながらトイレ掃除をすると金運UPや開運の
御利益があると言われています
気になる方は是非参拝しお札を手にいれてみてはいかがでしょうか
遠方で直接参拝するのが難しい場合はインターネットから申し込みで郵送して
もらえるそうですので調べてみてくださいね!(^^)!